【プロフィール】「らしさ」という思い込みを捨てて猫のようにしなやかに生きる。

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「血の繋がりってなんだろう」って物心つく頃から考えてきました。「”普通の親子”なんてどこにいるんだろう」ってずっと疑問でした。その疑問はあらゆる「普通」に向けられて、そしてあるとき「らしさ」という呪いに気が付きます

家族という名前の家族はいないし、父親という名前の父親もいない。女性という名前の女性もいなければ、友達という名前の友達もいないですし、教師という名前の教師もいません。

なのに、

「こういうとき助け合うのが家族でしょ」
「父親らしい威厳を見せろ」
「女性らしくおしとやかに」
「友達だったらこれくらい当たり前」
「教師なら教師らしく」

ってみんな言うんです。だから私は尋ねます。

家族って誰のことですか。
父親って誰のことですか。
女性って誰のことですか。
友達って誰のことですか。
教師って誰のことですか。

でも誰もきちんと答えてはくれませんでした。「どうしてみんな“らしさ”に縛られているんだろう」と不思議で仕方ありませんでした。

こんにちは、東京を拠点としてライター・編集者をしている市川円です。

当ブログ、およびプロフィールをご覧いただきありがとうございます。このページでは、私がなぜこのブログを書き始めたのかを説明します。なお、ほぼ時系列に沿って書いているため、直近の話を手っ取り早く確認したいという方は、目次に記載されている一番最後の見出しからご覧ください。

なお、ライター・編集者としてのポートフォリオはこちらです。

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また、経歴とかはいいから早く記事が読みたいという方には、書きながら自分で涙が止まらなくなってしまったこちらの記事がおすすめです。気持ちこもってます。

その時のツイートがこちら。

生後まもなく、物心つく前に養子に出された

私は生まれてすぐに、生みの両親から現在の育ての両親へ養子に出されました。そんな私にとって、「普通の家族」とは、「血の繋がっていない家族」のことでした。

そして幼稚園、小学校と進むうちに、それはどうやらみんなの「普通」とは違うということに気が付き始めます。そこで私は、「血の繋がりってなんだろう」「普通の家族ってなんだろう」と考えるようになったのです。

およそ大半の人が疑ったことのないであろう「普通」をはじめから持たなかった私にとって、それを疑うことに一切抵抗はありませんでした。以来、常識という言葉を疑い続けています。

ちなみに、この養子という境遇に焦点を当てたコラムをsoarさんに寄稿させていただきました。もし興味を持っていただけた方は、ぜひこちらもご覧ください。

「普通養子縁組」で、叔母夫婦に育てられた。市川円さんが見つけた自分なりの「親子のかたち」とは | soar(ソア)
こんにちは!市川円です。普段は編集者としてWEBメディアで記事を作りながら、私自身が養子として育った経験などをnoteで発信しています。 「養子として育った」なんて伝えると、「それ以上聞かない方がいいのかな……?」と気を遣われることが多いのですが、それは「特別養子縁組」のイメージが強いからかもしれません。 養子縁組には...

エンジニアに憧れて高専へ進学→中退

小学生のころから、親にねだって電子工作の通信講座を申し込んでもらうくらい「機械」とか「電気」とかが大好きだった私は、そのまま将来の夢もエンジニアになり、特に迷うこともなく沼津高専へと進学しました。

そうして、小学生のころから高校入学まで、およそ10年弱のあいだ願い続けた「エンジニアになる」という夢が叶うはずだったのですが、そううまくは行きませんでした。学友のレベルの高さと自分の要領の悪さに嫌気がさして、4年で辞めてしまったのです。

自分なりにいろいろな事情はあったものの、今思うとひとえに根性と覚悟が足りなかったなと思います。高専中退は、自分にとってはじめての挫折の経験となりました。

なお当時の詳細は、高専マガジンという高専生主催のWebマガジンにも寄稿させてもらったので、もしよろしければそちらもご覧になってみてください。

料理人・保険営業・税理士……職を転々とする日々

高専を辞めてすぐ、なんとなーくWebに興味があったので通信制のWebデザイン講座を受講して、Webデザイン技能検定3級という資格を取得します。

しかし当時住んでいた地域でちょうどいい仕事が全くなく、結局社会人になって最初に就職したのはフレンチレストランの料理人見習いでした。我ながらふざけてんのかなと思いますが、当時は大まじめです。(おかげで料理当番がまったく苦じゃないのは大きなメリットだったと思っています)

まじめに選びはしたものの、しかし根性と覚悟が足りないのは相変わらずで、1年ももたずにあっさり辞めてしまいます。その後も、保険営業・税理士補佐・居酒屋・リフォーム業・ラーメン屋……と職を転々としていました。

今でこそ、ライティングというスキルを得たことでどの職業で培った経験も無駄なく発信できるようになりましたが、当時はキャリアもくそもなく、やりたい放題やりながら生きていました。

小説が書きたくてライターへ転身。そして二度目の挫折

2016年ごろ、当時の仕事を辞めてフリーランスのライターになることをかなり唐突に決めました。当時はリフォーム業者で働いていて、トラックに乗って現場から現場へ移動する間なんかにEvernoteで小説を書いていまして、それをきちんと作品にしてみたくなったのです。

我ながら「理由はわかるけどだからといって仕事辞めなくても……」と思いますが、性格上、二足のわらじを成立させられるほど器用でないことはわかっていましたし、それを自分の言い訳にしてはいけないなと思っていました。

結果、書いた小説は自分で読み返すのも恥ずかしいレベルの駄作で、人生二度目の挫折を味わうことになります。その代わり、小説でなくてもいいからとにかく文章を書いてお金が稼ぎたいと思いたち、クラウドソーシングで仕事を請け負い始めました。

今思うと、この二度目の挫折のおかげで、くだらないプライドをばっさり捨てられるようになった気がします。

妻と出会い未来を考えるようになった

フリーランスのライターとして活動していた私は、2018年に転機を迎えました。 妻との出会いです。出会った当時、彼女は「普通」や「当たり前」にとても苦しめられていました。

軽度とはいえADHDの彼女にとって、周りの人が思う「普通」をこなすことはとても困難であり、しかし軽度だからこそ「がんばればなんとかなる」の悪循環で、生まれてからこれまで頑張り続けてきたと言うのです。

さらにそこに、感覚的に敏感であるHSPという個性、生まれ育った環境によるアダルトチルドレン的傾向が加わり、それらを元に発現してしまったうつ症状がとどめを刺します。

私が妻と出会ったのは、彼女がそれらをすべて経験したあとであり、そこから立ち直ろうとしているときだったのですが、その姿を見た時に「自分もそばで支えたい」と思ったのです。そして、「彼女が苦しまずに済む未来を創るにはどうすればいいか」を考えるようになりました。

「らしさ」という先入観や偏見が人を殺す

妻と付き合い始めてからしばらく、私はことあるごとに「生まれて来てくれてありがとう」「生きていてくれてありがとう」と伝えていました。

それはありがちな「生まれてきたことに感謝しなきゃね」といったきれいごとではなく、「戦場から無事生還してくれてありがとう」という感覚でした。実際に妻は戦場から生還したのです。

そして、戦場で戦っている人は妻ばかりではありません。近い境遇の人もそうでない人も、人が人である以上、私たちは絶対に「らしさ」という先入観や偏見からは逃れられません。認知バイアスという人体に備わった機能による部分が大きいからです。

「らしさ」から解放するための情報発信がしたい

先入観や偏見から、完全に逃れることはできないかもしれませんが、しかしそれらを知って軽減することはできます。私が養子という経験を通して「らしさ」に縛られない考え方ができるようになったように、別の視点について知識を蓄えることができれば、思い込みも軽減できるはずです。

みんなが「らしさ」に縛られない考え方をできるようになれば、 妻と同じような悩みを抱えている人も多少は生きやすくなるのではないか、そんな思いからこのブログを書き始めました。

2019年12月現在、記事はまだまだそろっていませんが、共感していただけた方はぜひTwitterお問い合わせフォームなどから一声おかけください。

ここまで読んでくださった方にはこちらの記事がおすすめです。

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